南青山ヒーリングテラス空

バランス

私は、人生の中で〈バランス〉という言葉が

しっくり来ていません。

バランスという意識の中には〈 間(あいだ)〉という意識があると思います。

《中庸》などと言う言葉がありますが、
それも〈バランス〉だと とらえられているように感じます。
さらに《調和》も〈バランス〉だと とらえているように感じるのです。

〈 間(あいだ)〉とは、何なのでしょうか?

この人には、
与えるべきか… 与えないべきか…

そこにある正解が〈バランス〉だととらえたとき
人・状況・環境によって… 毎回毎回〈バランス〉のとれた正解を探すことになります。

しかし、そこに答えはありません。
なぜならば、与えることも与えないことも
《想い》として選んだのならば素晴らしいことだからです。

もっと大きく表現をしたならば

《無条件の愛》と《自分の人生に責任をもつ》こと。 それも両極にあります。

塀を歩いている子供を〈強制的に下ろす〉ことも、落ちて〈痛みを知ってもらう〉ことも
両方が正しい選択なのです。

そういう意味では、両方が真実であり「間」は存在しないのです。

*こう書いたとしても
 バランス(場合によって違う)という意識が働くことでしょう。
 そこを外すためには、人生を完全に信じるという意識が必要であり
 本当はどんなことに気がつくために
 毎瞬のイベント(出来事)があるのか…に気がつく必要があります。
 そのことはまた、別の機会にお話しできたらと思います。

         *

〈 間(あいだ)〉とは、何なのでしょうか?

寄り添うこと…
それも、わかりあった上でのバランスだ 
お互いがバランスをとって近づいたり
一方が近づいてバランスをとった… と感じる方が多いように思います。

おばあちゃんに「おじいちゃんのこと…わかる?」
そう聞いたとき…きっと「いや〜わかんね〜^^」というでしょう。

それでは、なぜ…
おじいちゃんとおばあちゃんは、寄り添って見えるのでしょう。

価値観の違う相手のことが気にならなくなる。
近づいたわけではなく
相手の価値観を認めたということなのではないでしょうか。

寄り添って見えるが、近づいたわけではない。

親子が公園で楽しい時を過ごしたとしても
子供は砂遊びや虫を見つけたことが楽しかった。
お母さんはそんな子供の側で風や緑を感じることが楽しかった。
それで十分なのです。
近づくということではありません。

ここにも、私は〈 間 〉を感じません。

         *

「今」に意識を向けて、毎瞬毎瞬…丁寧に日々と向き合う
          という素敵な考え方があります。

一方で
「すべてをゆだねる」という執着をしない素敵な生き方もあります。

これも両方が真実です。

今に意識を向けたとき…うまくいかない場合は
ゆだねてみよう…
ゆだねてみたものの…うまくいかないから
ちゃんと今やれることをしなければ!
これは恐れにより
二つの真実を行き来している状態です。

自分の人生の軸をもち、今に意識を向け
その瞬間瞬間に気がつきつづけたとき…
そこには素晴らしい完璧な毎瞬に気づき
自分自身が先のことを計算などする必要がないという意識になることが
私は全てをゆだねている状態だと感じています。

ここにも

〈 間 〉は存在していないのです。

*「今」に関しましても、たくさんの思い込みがあるように感じています。
そのお話はまた。

         *

調和とは
私たちのそれぞれに突出した個性が
誰かのサポートになることであって

相手に合わせることや
突出した個性を無くすことではないと思うのです。

そこにも〈 間 〉は存在していません。

        *

さらには
〈相手に認めてもらう人生〉と〈自分自身が自分を認める人生〉
そこにも〈 間 〉は存在しません。

少しでも、相手に認めてもらおう…という意識がある以上
自分から目をそらすことになるのです。

〈自分自身が自分を認める人生〉を歩んだとき
認めてくれる方々が現れるのです。

そして、それは全ての方が認めてくれる訳ではありません。
あなたを本当の意味でサポートしたい
ともに心地よさを共有したい。
そいう方々があなたの側に寄り添ってくれるのです。

*パートナーについてもまた書かせていただきますね。

       *

それでは〈 間 〉は…
どこに存在しているのでしょうか

間は真実に行き着くための過程です。
そして、
その過程を経験した後に訪れる「間」は
〈想い〉です。または〈志〉のようなものです。

       *

今、行っている行為が
両極の〈真実〉にそったものなのか〈想い〉にそったものなのか…

そこを見極めるために
シンプルな叡智を腑に落としてください。

〈真実〉と〈想い〉がごちゃごちゃとした
感情の中に居ないでください。

これは叡智によって、感情を取り上げられてしまうということではありません。

ほんとうに必要な感情(特に歓び)を
どんどんどんどん…大きくするものです。
そして、日々の葛藤から抜けだし、
本当の愛をシンプルに表現するためにあります。

これは頭を使うことではなく〈知る〉ということです。
もっともっと、楽に生きることなのです。

これはあくまでも、私のお伝えしているシンプルな叡智からくる
私自身のフィーリングです。

*〈本当の愛〉や〈真実〉という言葉を使っていますが
  私がそれを知っている…という傲りで書いている訳ではありません。
  それを求める過程で私が腑に落としたフィーリングです。

〈志〉とは何なのか。人生とは何なのか。生まれてきた目的とは何なのか…
〈中庸〉とは…
それはまたの機会に。

さらに言えば、私たちに

《愛すること》と〈甘やかすこと〉しか存在しません。

自分に対しても他人に対しても同じです。

愛することとは… 自分の中心(内)にいること
甘やかすこととは… 自分の自身(本質)から目をそらすこと。

自分に対しても、相手に対しても
同じです。

愛情・友情・恋愛は存在しません。
もっというと
親子愛・家族愛も特別な愛のカタチでは存在しません。

もちろん…嫉妬・執着も存在しません。

このこともまた。

           そら

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