南青山ヒーリングテラス空

叡智の本質を受けて

「叡智の本質を受けて」

私自身、個人セッションと叡智のバトンを受けることで、すでに制限は外れ、自由になっていました。
自分のしたいことをする人生を生きていくことについては、もうなにも制限はありません。

わたしは、わたしが自由になったように、みんなにも自由になってほしいと思いました。
ある時、わたしの友人とメールをしているときに、
その方の悩みに、そらさんから伝えていただいた〈叡智〉でお話をしてみました。
しかし、叡智を語るには、わたしの学びは不十分で、上手に伝えることができていませんでした。

わたしは、自分自身をそらさんから自由にしていただいたけれども、
他の方に深く叡智を語るには自分の学びが不十分であることに気づきます。

その気づきとは、「叡智の言葉は知っているが、叡智の言葉が出てくるそらさんの大元(叡智の本質)が見えていない」
ということです。
その叡智の言葉を知ることと〈叡智の本質〉を知ることの大きな差が初めてみえました。

喩えるなら、「料理は食べたことがあって知っているけど、その作り方は知らない」というほどの差なのです。

もちろん料理を食べることができれば生きていけるように、誰もが作り方まで知る必要があるとは限りません。
それぞれの人生を自由に制限なく、生きていく、それだけで素晴らしいことです。
それだけで、他者に依存することなく、自分と他者を傷つけることなく、自由に羽ばたくことができるからです。

そういう人たちが集うだけで、素晴らしい社会となるでしょう。
ただ、わたしは、その差が目の前に見えた時、「叡智の大元を知りたい」という想いが出てきました。
自分の立っている位置が、初めて分かったからです。
他の人に伝えてみようと試みた時にはじめてわかる
叡智の深遠さ、そこを知りたいと思ったのです。

叡智の本質は、自分の生きていく意識に根本的に向き合うことで、その叡智の深みを自分のものとすることです。
その学びは、自分の見ている世界への自身の向き合い方、
ひいては自分の意識そのものの立つ位置を変えてしまうものです。
自分がこの世界と関わるということの持つ意味、シンプルな意識を持ちつづけることの意味を学ぶことです。

わたしはその学びの一歩を踏み出しました。
その一歩は、これまでとは違う自分の意識へシフトするに十分な一歩でした。

想いを持って人と向き合うこと、「すべての出来事は気づきのためにある」という
叡智の本当の意味、すべての理解は意識のシフトから起こります。

まだ、叡智の本質を学び始めたばかりですが、自分の意識のシフトを実感しています。
人生というものへの畏敬、すべての出来事・人とのかかわり合いの不思議さ、シンプルな意識、
すべてのキーワードが〈叡智の本質〉を学ぶことで、自分の中で組み合わされて降りてきます。

わたしは本当の人生の意味を知ることができたと思います。
これからは、この叡智を自身で深めていくことで、
わたしも他者もこの世界も、すべて同じ方向を向いて歩み始めることでしょう。
「歓びの人生」
そらさんの見ている世界を、わたしの眼で見ることができるようになる、そう思っています。

兵庫県 稲田 宏

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